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雨に泣いた不運の名馬:サクラホクトオーの悲劇と栄光

相手は天候


競馬にタラレバは禁物ですが、それでも「あの馬さえいなければ勝っていた」など、競馬ファンの間で酒の肴になることはしばしば見受けられます。
しかし、それは『相手が競走馬だった』という話であり、相手が天候に左右された場合は、そう多くありません。

そんな天候に左右され、何度もビックタイトルを逃した名馬がいました。

それは、1988年の2歳(当時は3歳表記。以下、現在の馬齢表記)王者に輝き、翌年の三冠馬候補ともいわれたサクラホクトオーです。

サクラホクトオーのイメージ画像
ℹ AI生成
この画像・動画は、AIによって生成された架空のイメージであり、実在の人物・馬・団体等を描写したものではありません。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプト調整等はおこなっておりません。

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そこで今回は、雨に泣いた不運の名馬サクラホクトオーについて紹介します。
当時の最強力士、千代の富士が馬名の由来となった兄サクラチヨノオーと同じく、当時横綱だった北勝海が馬名の由来となった弟サクラホクトオーの悲しき宿命を一緒に振り返りましょう。

サクラ軍団の悲願を背負った馬


サクラホクトオーの父は、いわずと知れた『天馬』の異名をもったトウショウボーイ。
母のサクラセダンは、父にセダンをもち、重賞路線で好走し続けた馬で、重賞格上げ前の中山牝馬ステークス(当時OP)を制しました。
そんな両親のもと、サクラホクトオーは1986年4月3日に北海道静内町にある谷岡牧場で生まれました。

なお、母のサクラセダンはとにかく繁殖成績が優秀で、サクラホクトオーの5歳上の兄サクラトウコウは脚部不安ながらも七夕賞(G3)、函館3歳ステークス(G3、当時OP)を制し、1歳上の兄サクラチヨノオーは、日本ダービー(G1)と朝日杯3歳ステークス(G1)を勝っています。
ちなみにサクラホクトオー以外のきょうだい馬の父は、すべてマルゼンスキーでした。

そんな血統背景を持つサクラホクトオーは、2歳になると美浦の境勝太郎厩舎に入厩します。
入厩当初から半兄がダービー馬とあって超期待の若駒として話題となりました。

そしてサクラ軍団の主戦騎手である小島太騎手を鞍上に秋の府中の新馬戦を1番人気で迎えると、レースでは中団に付け、最後は2着のボストンキコウシに2馬身差で快勝。
見事デビュー戦を勝利で飾ります。

秋の府中の新馬戦のイメージ画像
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続いて、2戦目となった府中3歳ステークス(OP)でも単勝1.7倍の圧倒的1番人気に応える形で4馬身差の圧勝、さらにはレコードタイムのおまけ付きでした。
こうして前評判通りの活躍をみせたサクラホクトオーは、朝日杯3歳ステークスに駒を進めます。

なお、前年にはサクラチヨノオーが制していましたので、兄弟制覇の夢がかかる一戦となったこのレースでも単勝オッズ1.3倍と圧倒的支持を集めたことで、さらに注目度が高まりました。

レースでは、鞍上の小島太騎手があえて馬群の中で我慢させます。これは翌年のクラシックの予行演習かと思わせる騎乗っぷりでした。
そして直線に入ると、進路を外に取ったサクラホクトオーは中山の短い直線だけで2着に2馬身の差をつけ完勝します。

これには、2着となったスクラムトライの柴田政人騎手が「何だアレは、強すぎるよ」と白旗を振り、2番人気で4着だったコクサイロイヤルの岡部幸雄騎手も「性能が違いすぎる。あの馬がコケないとクラシックのチャンスはない」と敗北宣言。

まさに翌年のクラシックは、サクラホクトオーの一択かと思われました。
しかし、サクラホクトオーの運命は、天に左右されることになるのです。

宿敵は意外なところに…


年が明け、2歳王者のサクラホクトオーは三冠街道を進むべく皐月賞トライアル・弥生賞(G2)から始動します。
しかし弥生賞当日、連日の大雨の影響で芝コースはダートコースと見間違うほどの超不良馬場。
まるで田んぼのような状態でした。

そんな状況下、サクラホクトオーはこのレースでも単勝オッズ1.4倍の圧倒的な1番人気の支持を受け、レースに臨みます。
ところが、サクラホクトオーは4コーナーでも中団後方から抜け出せず、抜群の切れ味を発揮させることなく、ズルズルと後退。
まさかの12着と初敗北を喫しました。

弥生賞のイメージ画像
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ただ、勝ったレインボーアンバーの勝ちタイムが芝2000メートルで2分7秒7、これは現在のJRAのダート2000メートルのレコードタイムと比べると6秒7も差があり、今もなお弥生賞の中でもっとも遅い勝ちタイムです。
そんな状況だったため、サクラホクトオーの敗北は致し方ないと見られ、次走の皐月賞でも単勝オッズ3.0倍の1番人気に支持されます。

気になる天候は快晴でしたが、前日の夕方からレース当日の午前中までたっぷり雨が降ったため、不良馬場と発表されました。
しかもサクラホクトオーの枠番は1枠1番、馬場が1番悪い最内枠からのスタートとなり、ここでも天に見放された格好となります。

レースでは4コーナーで先頭集団に取り付いていたものの、そこから弥生賞と同じくズルズルとものすごい勢いで後退し、19着と大惨敗。
勝ったのは、地方競馬で実績のあったドクタースパートでした。

なお、2着もダート戦でしか勝利実績のないウィナーズサークルだったことを考えると、切れ味を武器にするサクラホクトオーにとっては不運としかいいようがありません。
ただ、2歳王者としてこのままでは終われないサクラホクトオーは、予定通り日本ダービーへと駒を進めます。

しかし、2戦連続で大敗を喫したサクラホクトオーは、単勝オッズ9.9倍と5番手評価。
ちなみに1番人気のロングシンホニーでも単勝オッズが6.0倍だったことを考えると、大混戦だったといえるでしょう。

馬場状態は良馬場発表でしたので、2歳王者の復活を多くのファンは待ち侘びていたはずです。

しかし、サクラホクトオーは最後の直線で突然内にささって失速し、最後はウィナーズサークルの9着と兄弟によるダービー制覇の夢が幻となってしまいました。
こうして、三冠馬と期待されたサクラホクトオーの春クラシック戦線は未勝利のまま幕を閉じたのです。

2歳王者の意地


その後、2歳王者としてのプライドを取り戻すべく夏の休養を経て、最後の一冠、菊花賞(G1)を手にするためセントライト記念(G2)から始動したサクラホクトオー。
レース当日の馬場が稍重だったため、ファンはこれを危惧したのか単勝3番人気での出走となります。
しかし、サクラホクトオーはこれまでの鬱憤を晴らすような競馬をみせると稍重を克服し、見事勝利しました。

菊花賞のイメージ画像
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そして、念願の良馬場で迎えた菊花賞。
セントライト記念で復活の狼煙をあげたサクラホクトオーでしたが、意外にも7番人気と低評価となります。
なお、1番人気は夏の上がり馬バンブービギン。

淀の2度目の坂を超え最終コーナーに入ると、サクラホクトオーは中団の外、前を捉えられる絶好に位置し抜群の手応えで最後の直線に入りました。
ところが、残り300メートル付近で突如サクラホクトオーは馬場の切れ目に驚き、よろめいてしまい、何と外ラチ沿いまですっ飛んでしまいます。

ものすごい末脚で外ラチ沿いから追い込むものの、健闘むなしくバンブービギンの5着。
もし外ラチ沿いまですっ飛んでいなければ、先頭で突き抜けていたかも知れません。

こうして、デビュー前から三冠を取れる逸材と称されたサクラホクトオーは、クラシック戦線を無冠で後にします。
菊花賞の走りを振り返れば、尚更、不運が付きまとったといえるでしょう。

最後まで雨に泣いた馬


古馬になると、サクラホクトオーは年明け早々のアメリカジョッキークラブカップ(G2)に単勝オッズ1.5倍と久々の1番人気に応え快勝し、重賞3勝目を挙げました。
そして、次走は中山の日経賞(G2)か阪神の産経大阪杯(G2)のどちらかに照準を合わせます。

雨が降った”ぬかるんだ馬場は走らない”とのレッテルを貼られていたサクラホクトオーに対し、陣営は雨の降らない方に出走する方針でした。
その後、天気予報に従い雨予報のあった日経賞を避け、産経大阪杯を選択。
しかし蓋を開けてみると、中山は良馬場で阪神は稍重だったのです。

大阪杯のイメージ画像
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天気予報は見事に外れ、さらに出走メンバーもスーパークリーク、オサイチジョージ、ヤエノムテキといったG1馬が集い、一方の日経賞にはG1馬が不在で1番人気も重賞馬ランニングフリーでした。
単純にメンバー構成をみると、明らかに日経賞が有利だと思われる中、陣営の選択は裏目にでてしまいレースでも7着敗退。

そして、次走の天皇賞・春(G1)で14着に敗退すると、脚部不安から約1年間の休養に入り、5歳(当時は6歳表記)となった休養明け初戦の京王杯スプリングカップ(G2)で9着、続く安田記念(G1)でも15着と大敗します。

こうして、卓越した能力を持ちながらも運と天に見放されたサクラホクトオーは惜しまれつつもターフを去りました。

まとめ


今回は、雨に泣いた不運の名馬サクラホクトオーについて紹介しました。
サクラホクトオーの引退後、管理した境勝太郎調教師は「あの馬は本当に運がなかった。調子がいい時に限って雨が降るし…」とコメントを残しています。
雨の悪馬場に対しては、生まれ付いた蹄の形が問題だったのか、それとも重い馬場は関係なく、雨が降ると気が散ってしまったのかは定かではありません。

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それだけに何度も大一番で雨が敵となったサクラホクトオーは、まさに不運の名馬だったといえるのではないでしょうか。

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