伝説の芦毛対決!1988年天皇賞・秋からの3戦を振り返る
そもそもなぜ芦毛馬は少ないのでしょうか――。
それは、基本的に芦毛馬の父馬、母馬とも遺伝の法則によりその産駒に約半分しか芦毛を伝えないことが理由とされています。
要するに隔世遺伝はしませんので、仮に地球上から一時期でも芦毛が消えてしまったら、もう二度と芦毛が復活することはないということです。
ただ、そんな芦毛馬はこれまで消えることなく多くの名馬が誕生してきました。
少し前に遡れば、日本競馬史上最強のステイヤーと称されるメジロマックイーンや、近年では芦毛の暴君ともいわれたゴールドシップなど、挙げるとキリがありません。
ただ、その時代に活躍したのは1頭の芦毛馬ばかりです。
しかし、芦毛馬対芦毛馬といった2頭の芦毛馬が活躍した時代があったのをご存知でしょうか。
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それは、今から四半世紀以上前の1988年にまで遡ります。
今回は、伝説の芦毛対決と題して1988年の天皇賞・秋からG1レース3戦、オグリキャップ対タマモクロスを振り返りたいと思います。
多くの競馬ファンがこの2頭の芦毛馬に魅了された古き良き時代に、いったいどのような戦いが繰り広げられたのでしょうか。
オグリキャップとタマモクロス。
奇遇にも同時期に出会ってしまった2頭は、のちに日本競馬史に燦然と輝くスターホースです。
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そんな2頭のスターホースは、1988年の天皇賞・秋(G1)で、初顔合わせとなり、日本中の競馬ファンを大興奮させました。
まずは、簡単に2頭の経歴を紹介します。
タマモクロスは、上がり馬の象徴的存在です。
デビュー戦から勝ち上がることなく、8戦1勝で迎えた条件戦で結果が得られなければ障害に転向する話もあったそうです。
しかしそこで2勝目を挙げると徐々に頭角を現し、その年の天皇賞・春(G1)と宝塚記念(G1)を含む7連勝で一気に古馬の頂点に君臨します。
特にスポニチ賞金杯(G3)では、3コーナーで後方2番手に位置し、最終コーナーを回ってインに閉じ込められ進路をとれず万事休すの状態でしたが、直線だけでスルスルと馬群を縫うように追い込んで勝利を収めました。
このレースがキッカケでタマモクロスは『白い稲妻』との異名を持つことになり、その異名に相応しい勝ち方を披露したのです。
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一方、タマモクロスよりも1歳下のオグリキャップは、地方の笠松競馬場で12戦10勝2着2回の好成績を引っ提げてJRAに転入してきました。
一般的に地方で無双だった馬でもJRAに主戦場を移せば、勝てる可能性は低いです。
しかし、オグリキャップは違いました。
転入初戦となったペガサスステークス(G3)では、2着に3馬身差を付けて優勝。
しかも初の芝コースでの圧勝です。
それから毎日杯(G3)、京都4歳特別(G3)とG3の重賞を3連勝し、オグリキャップの名は一気に全国区となります。
その後もニュージーランドトロフィー4歳ステークス(G2)、高松宮杯(G2)、毎日王冠(G2)と無傷の重賞6連勝を達成。
地方の叩き上げ、クラシック登録がなく、裏街道を進むしか道がなかったなど、まさに下剋上として上り詰めた姿に競馬ファンは注目しないわけがありません。
そんな連勝中で、しかも2頭とも芦毛馬となれば、次に競馬ファンが待ち望むのはこの2頭の対決でした。
この連勝中の2頭の対決が、1988年の天皇賞・秋で実現されることになりました。
どちらも主役級の競走馬で多くの競馬ファンが固唾をのみ、レース当日を迎えます。
1番人気はオグリキャップで単勝オッズ2.1倍。2番人気がタマモクロスで単勝オッズは2.6倍でした。
そして、一目見ようと東京競馬場に集まった観客は12万人を超えていたといわれています。
大観衆が見守る中、レースではレジェンドテイオーが引っ張る形となり、タマモクロスも積極的な先行策にて、2番手に付けます。
ただ、前2走のG1レースでは中団待機でレースを進めていたため、この積極的な先行策がどう出るか、見ているファンに不安があったのかもしれません。
しかし、それはまったくの杞憂に終わります。
最後の直線に入ると、逃げるレジェンドテイオーをかわし一気に先頭にたったタマモクロスは、中団から猛追してきたオグリキャップを1馬身と1/4の差に抑える格好でゴール板を通過。
着差以上にタマモクロスの完勝でした。
こうして、1988年の天皇賞・秋は前評判通り2頭の芦毛対決に終わり、軍配はタマモクロスに上がりました。
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また、この勝利によって、タマモクロスは史上初となる同一年の天皇賞春・秋連覇の達成と合わせて、史上初のG1レース3連勝を成し遂げたのです。
芦毛の怪物同士の対決は、何も天皇賞・秋だけで終わったわけではありません。
このあと、この2頭は、ジャパンカップ(G1)と有馬記念(G1)で相まみえることになります。
まず快晴の中、8回目を迎えたジャパンカップでは、世界の並み居る強豪馬を抑え、タマモクロスが堂々の1番人気に支持されました。
それに続いたのが、凱旋門賞馬のトニービン、オグリキャップは3番手評価となり、スローペースでレースは流れます。
メジロデュレンとシェイディハイツがレースを引っ張る形でスムーズさを欠いたタマモクロスは、先に抜け出した9番人気のペイザバトラーに半馬身差及ばず2着に敗れ、ここまで積み重ねてきた連勝が8でストップ。
重賞連勝も6で止まりました。
なお、3着にはオグリキャップが入り、芦毛対決はタマモクロスが1勝のまま暮れの有馬記念に持ち越されます。
最後の戦いとなった芦毛対決に多くの競馬ファンが注目した1988年の有馬記念。
そんな暮れの大一番では、初の天皇賞春・秋連覇を成し遂げたタマモクロスが1番人気となり、地方・笠松競馬から転入後、重賞6連勝をマークしたオグリキャップが2番人気に支持されます。
そして、この芦毛の怪物2頭以外にもマイルチャンピオンシップ(G1)を楽勝した快速馬サッカーボーイが3番人気で、この年の菊花賞(G1)を制したスーパークリークと若き天才・武豊騎手のコンビが、それに続くといった錚々たるメンバーが顔を揃えました。
レースでは、天皇賞・秋と同じくレジェンドテイオーが逃げて、中団にオグリキャップ、それをマークする形でスーパークリーク、そしてサッカーボーイとタマモクロスは並走する格好で最後方に位置します。
しかし、この位置取りが明暗を分ける結果となるのです。
天皇賞・秋の2着でJRA転入後の連勝が6で止まり、続くジャパンカップでも3着と2戦ともタマモクロスに先着を許したオグリキャップ陣営は、同じ轍を踏まないとタマモクロスよりも先に前へ出る戦法を取りました。
オグリキャップの鞍上は、中山コースを知り尽くした当時のトップジョッキー岡部幸雄騎手。
この一戦で引退が決まっていたタマモクロスに一矢報いるため、オグリキャップ陣営はこれまで主戦騎手だった河内洋騎手から鞍上を岡部騎手にスイッチしたのです。
それに対して、タマモクロスと南井克巳騎手は、第3コーナーを過ぎた辺りから稲妻の如く豪快な末脚をみせます。
しかし、オグリキャップは中山最後の直線、心臓破りの坂で一気に先頭へ立つと、タマモクロスの追撃を半馬身差に退け、自身初となるG1制覇を飾りました。
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これは、オグリキャップ陣営の執念が実った瞬間だったといえるでしょう。
こうして、この秋から繰り広げられたタマモクロスとオグリキャップの死闘は、1勝1敗1引分といずれも歴史に残る名勝負となりました。
特に最後の対決となった有馬記念は、“昭和最後の名勝負”として、今も多くの競馬ファンの脳裏に焼き付いていると思います。
今回は、伝説の芦毛対決!1988年天皇賞・秋からの3戦を振り返りました。
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この芦毛の2頭が対戦したのは、1988年10月30日の天皇賞・秋から12月25日の有馬記念まで、わずか約2か月間のことです。
しかし、35年以上経った今でも決して色褪せることなく、この先も語り継がれる芦毛馬同士の名勝負だったのではないでしょうか。