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世紀の一戦:メジロマックイーン vs トウカイテイオー、唯一の直接対決

日本競馬史に残る「世紀の一戦」とは?


これまで日本の競馬では、幾多の名馬たちによって数多くの名勝負が繰り広げられてきました。
近年で思い出されるのは2020年のジャパンカップ(G1)でしょうか。
アーモンドアイ、コントレイル、デアリングタクトといった3頭の3冠馬が激突した一戦は、まさに日本競馬史に残る一戦だったといえます。

また、絶対王者といわれたディープインパクトやイクイノックスなどの超一流馬の場合、レースに勝つか負けるかではなく、どのようにして勝つのかといったところも名勝負の1つです。
そんな中、過去の日本競馬史において『世紀の一戦』と謳われたレースがありました。

それが、1992年の天皇賞・春(G1)でトウカイテイオーとメジロマックイーンによる最初で最後の対決となった一戦です。

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この画像・動画は、AIによって生成された架空のイメージであり、実在の人物・馬・団体等を描写したものではありません。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプトの調整等はおこなっておりません。

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そこで今回は、日本競馬史に残る『世紀の一戦』について紹介します。
戦前から異様な盛り上がりをみせた世紀の一戦。その結末は、どうなったのでしょうか。

遅咲きのステイヤー


1990年の有馬記念(G1)で第二次競馬ブームの立役者オグリキャップが劇的なラストランを飾りターフを去りますが、競馬ブームはそこからさらに加熱していきました。
オグリキャップからバトンを受け継ぐようなタイミングでスターホースが誕生したからです。

そんな熱狂する競馬ファンの対象となったスターホースこそ、メジロマックイーンであり、その1歳下のトウカイテイオーだったのです。
メジロマックイーンは、父メジロティターン、母メジロオーロラ、その父がメジロアサマとメジロ牧場の結晶ともいうべき血統背景を持ち、1987年に北海道浦河町で生まれました。
その後、順調に成長したメジロマックイーンでしたが、遅咲き血統のためか能力が開花するのはまだ先のこと。
同世代のアイネスフウジンが日本ダービー(G1)を制した頃、メジロマックイーンはまだ1勝馬でした。

それでも何とか菊花賞(G1)に出走を漕ぎつけたメジロマックイーンは、ホワイトストーンや同郷で日本ダービー2着馬のメジロライアンらを抑えて重賞初制覇が菊花賞という偉業を成し遂げます。

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翌年、古馬となったメジロマックイーンは、始動戦の阪神大賞典(G2)を完勝し、次走の天皇賞・春(G1)でも驚異的な強さで制しました。
これは、祖父メジロアサマ、父メジロティターンに続き、史上初の父仔3代にわたる天皇賞制覇という途方もない偉業達成となったのです。
こうして、オグリキャップがターフを去った中、新時代の新たなヒーローとして遅咲きのステイヤーは日本の競馬界を牽引する存在となるのです。

皇帝の血を継ぐもの


メジロマックイーンが誕生した翌年に、トウカイテイオーは北海道新冠町の長浜牧場で生まれました。
父は史上初となる無敗の3冠馬シンボリルドルフ。
母は不出走馬でしたが、半姉にオークス馬トウカイローマンを持つトウカイナチュラルで、その父はナイスダンサーという血統背景です。

幼駒時代から端正な顔立ちと醸し出す気品は、生まれながらにして父仔2代にわたる3冠馬となることを期待された馬でした。

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メジロマックイーンが父仔3代にわたる天皇賞馬となることを義務づけられた馬ならば、この2頭の激突がのちに『世紀の一戦』と呼ばれることは当然だったのかも知れません。

そんな牧場の期待を一身に背負ったトウカイテイオーは、無敗で皐月賞(G1)を制します。
ちょうどその頃、古馬戦線ではメジロマックイーンが天皇賞・春を楽勝し、古馬の王座に就いていました。

その後、迎えた日本ダービーでは、府中の直線、残り200メートル付近で先頭に立つと、あとは独壇場。
見事、父シンボリルドルフに続き、無敗の2冠馬となったのです。
ところが、トウカイテイオーにアクシデントが起こります。

それは、日本ダービーから3日後、レース中に左第3足根骨を骨折していたことが発表されたのです。
全治6カ月と診断され、年内復帰は絶望的。
当然、父仔2代にわたる無敗の3冠馬という偉業の可能性が、この時点で消えてしまいました。

そして、惜しくもトウカイテイオーは、長い休養に入ることとなるのです。

2強それぞれの道


トウカイテイオーが無敗の2冠馬となり骨折が発表された頃、古馬戦線ではメジロマックイーンの『1強』時代がやってくると思われました。
しかし、宝塚記念(G1)では同郷のメジロライアン2着に終わり、秋の始動戦となった京都大賞典(G2)は圧勝するも、次走の天皇賞・秋(G1)では6馬身差の圧勝劇を見せますが、なんと進路妨害で18着へと降着となってしまいます。
続く、ジャパンカップでも単勝1.9倍と断然の1番人気の支持を受けながらも海外馬ゴールデンフェザントの前に4着。
そして有馬記念でも単勝1.7倍の支持を受け、誰もが今度こそ3つ目のG1タイトル獲得は確実だと思ったこのレースでも、伏兵馬ダイユウサクの前にまさかの2着と敗れてしまいます。

まるで呪われたとしか言いようがない結果でしたが、その実力が現役ナンバーワンのものであることは疑いようがありませんでした。
そして翌1992年、メジロマックイーンは前述の通り、昨年と同じ阪神大賞典から始動し、そこから天皇賞・春の連覇を目指すこととなります。
一方で骨折が完治したトウカイテイオーは、日本ダービーから約9か月後、栗東トレーニングセンターに帰厩し調教を開始するとともに、4月上旬の産経大阪杯(当時G2)を経て天皇賞・春のプランが発表されました。
こうして、世紀の一戦が徐々に近づいていきます。

まず先にメジロマックイーンが、前哨戦で古豪カミノクレッセに5馬身差を付けて圧勝、本番に向けて視界良好を見せつけました。
次はトウカイテイオーの復帰初戦です。
ただ、骨折による長期休養明け、プラス20キロの馬体重増。
初の古馬との対戦など不安要素は多々ありましたが、トウカイテイオーにはすべて関係ありませんでした。
レースでは、鞍上の岡部幸雄騎手は最初から最後まで手綱を持ったままで、2着のゴールデンアワーに1馬身3/4差の完勝。
その姿は、まるで1頭だけ違う生き物が走っているようなレースとなり、3週間前のメジロマックイーンの圧勝が霞んでしまうほどの、空恐ろしいほどの強さを見せつけました。
こうして、天皇賞・春が行われる4月26日まで、世間は2頭の対決の話題で持ちきりになっていくのです。

戦前の戦い


天皇賞・春の1週前追い切りでトウカイテイオーに騎乗した岡部騎手は、その手応えから「地の果てまで伸びる動き」と強気なコメントを発表すると、同じく1週前追い切りに騎乗した武豊騎手は「あちらが地の果てなら、こちらは天まで昇れそうです」と返答しました。
本番が近づくにつれ、トウカイテイオーかはたまたメジロマックイーンか。競馬ファンの熱狂は徐々に加速していきます。
そして天皇賞・春の週を迎えると、スポーツ新聞の競馬面だけでなく一般紙や週刊誌、テレビのニュースまでもがこの『世紀の対決』に話題を取り上げました。
当然、競馬ファンの間でも『世紀の一戦』に話題は持ちきりとなります。

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どっちが強いのか。どっちを買うべきか。
また、史上初の天皇賞・春の連覇か。それとも、史上初の無敗の天皇賞馬の誕生か。

ありとあらゆる議論はレース当日を迎えるまで終わる気配がなく、いよいよ『世紀の一戦』は幕開けの時を迎えることになります。

世紀の一戦


1992年4月26日、初夏を思わせる強い日差しが芝に照りつけていた京都競馬場には『世紀の一戦』を一目見ようと約11万人の競馬ファンで埋め尽くされました。
単勝1.5倍で無敗のトウカイテイオーが1番人気の支持を受け、メジロマックイーンが単勝2.2倍で続きました。
3番人気のイブキマイカグラが18.2倍、4番人気のカミノクレッセで37.2倍、1番人気と2番人気の馬連が1.5倍。いかにこのレースは、2強の決着で終わるだろうと予想されたことが分かる数字となりました。

地鳴りのような大歓声が巻き起こる中、レースでは、2回目の”淀の坂”を下り、最終コーナーから最後の直線に入ると、メジロマックイーンが単独で先頭に立ちます。
2番手に位置したメジロパーマーが力尽きて下がっていく背後から前を追うトウカイテイオー。いよいよ、世紀の一騎打ちの予感に11万人の京都競馬場が揺れました。
ところが、競馬ファンの夢を乗せた『世紀の一戦』は呆気なく、幕を閉じることになります。

直線では、ぐんぐん差を広げ、独走態勢に入るメジロマックイーン。

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対するトウカイテイオーは、まさかの伸び欠いての5着。史上初の天皇賞・春を連覇したメジロマックイーンからは1秒7も離されての惨敗となったのです。

トウカイテイオーの敗因は何だったのかと誰もが首を傾げる中、管理する松元省一調教師は「距離の壁としか言いようがない」とコメントを残しました。
そして『世紀の一戦』から11日目が経ち、トウカイテイオーは2度目の骨折が発表されます。
これは、恐らくレース中に発症したものといわれ、全治は3カ月とのことでした。

逆に古馬最強の座に就いたメジロマックイーンは、次走の宝塚記念に向けて完璧な仕上がりが伝えられます。
しかし、宝塚記念まで1週間を切った頃、今度は調教後にメジロマックイーンが左第一指節種子骨を骨折していることが判明し、全治6か月と診断されたのです。
その後、メジロマックイーンとトウカイテイオーは、1度も顔合わせすることなく、別々の路線を歩み、日本競馬史に燦然と輝く功績を残し、ターフを去りました。

こうして、たった1度きりとなった『世紀の対決』は、競馬ファンの脳裏に永遠と残る記憶になったのです。

まとめ


今回は、日本競馬に残る『世紀の一戦』について紹介しました。

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挫折を知ったメジロマックイーンか。それとも挫折を知らないトウカイテイオーか。戦前は、完全に二分されていました。しかし、結果は呆気ない幕切れでした。
ただ、結果だけをみるとそう感じるかも知れませんが、2頭とも紛れもない日本競馬を代表する名馬です。
このような2頭が直接対決するレースを見ることができただけで、競馬ファンにとっては幸せを感じ、また次の夢をみることができますので、改めて平成初期を代表する偉大な名馬たちに感謝したいですね。

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