杉本清の名実況集:競馬ファンの心に残るその言葉たち
競馬には、実況が欠かせません。
特にG1競走のような大きなレースになればなるほど、実況はレースの感動をより後押しする重要な要素です。
競馬実況ではこれまで多くの名フレーズが飛び出し、何年たっても我々競馬ファンの心に残っている言葉もあります。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプト調整等はおこなっておりません。
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中でも競馬実況のパイオニア的存在で名実況でお馴染みの元関西テレビアナウンサー杉本清氏の実況は、独特のものであり、ゴール前で飛び出したフレーズを思い返せばレースシーンが鮮明に蘇ってくるほどです。
そこで今回は、杉本アナが残した数々の代表的な名実況とともに名勝負を繰り広げた名馬たちのレースを紹介します。
一度は聞いたことがあるフレーズがたくさんあると思いますので、ぜひ最後までお楽しみください。
※今回は、1975年から1995年に行われたレースを対象としています。
この名フレーズは、1975年桜花賞を独走したテスコガビーに対しての実況です。
『テスコガビー独走か! ぐんぐんぐんぐん差が開く!差が開く!後ろからはな~んにも来ない!後ろからはな~んにも来ない!後ろからはな~んにも来ない!』
これは、テスコガビーがあまりにも強すぎて、後続馬が追いつけなかったから、咄嗟に出た実況だったようです。
この年代あたりから、杉本節の始まりですね。
このフレーズも超有名ですね。これは、1976年に行われた菊花賞の時の実況です。
当時、関西馬が弱かった時代の中、突如現れた関西馬期待の星テンポイントでしたが、皐月賞はトウショウボーイ、日本ダービーはクライムカイザーと無冠でした。
そして、迎えた菊花賞の最後の直線でテンポイントは先頭に立ちます。しかし、体力の消耗が激しくテンポイントは左に寄れながら走るところに騎手の右鞭が飛びます。
そうなると、さらに右に寄れたテンポイントに対して、杉本アナは『鞭など要らぬ、押せ!』と咄嗟に出たそうです。
しかし、内側に進路を取ったグリーングラスがするする抜けてきて先着。テンポイントは惜しくも2着となりました。
ちなみに、ゴールした瞬間、テンポイントは外ラチ沿いでゴールしていますので、それだけ左に寄りながら走っていたことが分かります。
三冠馬は、約10年に1度の確率で誕生するといわれています。杉本アナは、その三冠馬誕生の瞬間を3度も実況されています。
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その中でも1983年に三冠馬となったミスターシービー。
この名実況は、菊花賞でみせた最後の直線で疾走した時に出たフレーズです。まさに大地が弾んだように走る姿を表現しています。
後方一気の末脚で人気を博したミスターシービーの特徴を上手く捉えた、まさに名実況そのものです。
これは、1987年の菊花賞を制したサクラスターオーに対する名実況ですね。
サクラスターオーは、皐月賞を制した後、骨折にて休養し、菊花賞はぶっつけ本番で臨みました。
杉本アナが、まさか勝つとは思わなかったという通り、レースでもサクラスターオーは9番人気でした。
それで長丁場の菊花賞を制するのですから、相当強い競走馬だったと思います。
そこで飛び出したのが、このフレーズです。
これは、咄嗟の閃きだったそうで、これぞ”杉本節”の代名詞ともいえます。
ちなみに『菊の季節に桜』というフレーズを店名にするお店ができるほどですので、後世に語られる名実況だったことが分かりますよね。
これは、日本競馬史において、世紀の一戦と呼ばれた1992年の天皇賞(春)で出たフレーズです。
このレースは、史上初の天皇賞(春)の連覇がかかったメジロマックイーン対無敗の二冠馬トウカイテイオーが最初にして最後となった唯一の対決でした。
「史上初!春の天皇賞連覇!メジロマックイーン! どんなもんだい!メジロマックイーン!
どんなもんだい!と言ったところ! 恐れ入ったと言うトウカイテイオーは4着か5着!」
結果は、名実況のとおり、メジロマックイーンの圧勝でした。
まさに長距離最強馬として「どんなもんだい」がピッタリなレースとなりました。
これは、1992年の春秋グランプリを連覇したメジロパーマーが、翌年の初戦となった阪神大賞典で強い勝ち方をした時の名実況です。
「このあたりがメジロパーマーの恐ろしいところ! もう一度出た!出た!出た!また出たぞ~!メジロパーマーだ!またメジロパーマーだ! またまたメジロだメジロだ! 強い~!強い~!」
実況を文字するだけでも臨場感あふれるシーンが伝わってきます。
この名実況のフレーズは、1994年の宝塚記念で生まれました。
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当時、現役古馬最強だった兄ビワハヤヒデと三冠に王手をかけた弟のナリタブライアンが、日本競馬界に旋風を巻き起こしていました。
その中でいつも平然とした顔付きでレースに勝ってしまう姿が、まさにこの杉本節がピタッとハマる、そんなフレーズでした。
「強い!強い!今日も涼しい顔をしてビワハヤヒデ1着!そして2着にアイルトン、3着にダンシングサーパスであります! 13番のビワハヤヒデ!兄弟対決へ大きく夢が広がる、 兄貴ビワハヤヒデ宝塚記念圧勝! レコードタイム!レコードタイム!2分11秒2!レコードです! 今日も涼しい顔をして楽々とゴール板を通過した13番のビワハヤヒデ!」
しかし、この兄弟対決は夢幻となります。
それは、ビワハヤヒデが秋に屈腱炎を発症してしまい、そのまま現役引退となったからです。
これも名実況の中で誕生したフレーズです。
兄のビワハヤヒデが引退となり、迎えた1994年の菊花賞で弟ナリタブライアンは、見事10年ぶりに三冠馬となりました。
「弟は大丈夫だ!弟は大丈夫だ!弟は大丈夫だ! 10年ぶり、10年ぶりの三冠馬!ナリタブライアン!そして2着はヤシマソブリンで堅そうだ! ナリタブライアンだ!ナリタブライアン!三冠馬~!弟は大丈夫だ!史上5頭目の三冠馬!史上5頭目の三冠馬!10年ぶり!レコード~!レコード~!3分4秒6!兄貴のレコードを10分の1秒縮めました! 京都競馬場、南井コール!」
この「弟は大丈夫だ」という意味は、兄が志半ば無念の引退となり、弟は菊花賞の前哨戦でスターマンという伏兵馬に敗れ、三冠達成に黄色信号が点灯したことにつながります。
兄は怪我で引退し、まさか弟までもが…弟は大丈夫なのか。との不安視に対して、本番の菊花賞では、ナリタブライアンが最後の直線で突き抜けたところで「弟は大丈夫だ」との名実況が誕生しました。
兄ビワハヤヒデの無念も含め、弟は大丈夫だとのフレーズは、杉本アナにしか発せない名実況だったと思います。
1992年の菊花賞では、ミホノブルボンの無敗の三冠を阻止。
翌1993年の天皇賞(春)には、メジロマックイーンの3連覇を阻止したことで”関東の刺客”との異名をとったライスシャワー。
しかし、その後は、なかなか勝利することができず、6歳(当時は7歳表記)となったライスシャワーが1995年の天皇賞(春)を制した時の名実況です。
「いや~、やったやったライスシャワーです!おそらく、おそらくメジロマックイーンもミホノブルボンも喜んでいることでしょう!ライスシャワー今日はやった~! 」
この時は、ライスシャワーは”終わった”と思われていましたが、見事復活を遂げ、2度目の天皇賞(春)を勝ったことで、この名実況が生まれました。
まさに「ミホノブルボンもメジロマックイーンも喜んでいることでしょう」のフレーズには痺れます。
実況はレース全体の状況を説明するものですが、杉本アナの場合、1頭の馬を応援する実況がよくありました。
それだけ競馬に対する思いが犇々と伝わってきます。
そして、それが名フレーズとなって、今でも競馬ファンの心に染み付いているのだと思います。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプト調整等はおこなっておりません。
[使用ツール・モデル]
・DALL·E 3
・Firefly
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なお、今回、紹介しました内容は、ほんの一握りです。
杉本アナの名実況は他にもたくさんありますので、次の機会に紹介できればと思います。
さらに名実況は杉本アナだけではありませんので、今後も多くの名実況とともに歴史に残る名レースを振り返りたいですね。