消えてしまった冠名:メジロ、ダイワ、タニノの名馬たち
競馬でいう冠名とは、馬主が自分自身で所有する競走馬名に特定の言葉を含めることをいいます。
これは、一般的に馬主が自身の所有馬であることをアピールし、他の競走馬と馬名が重複しないようにする目的で使われています。
そんな冠名を持つ競走馬は、これまで日本競馬界で数多く活躍をみせてきました。
しかし、時代とともに消えた冠名も多く存在します。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプト調整等はおこなっておりません。
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今回は、消えた冠名たちと題してメジロ・ダイワ・タニノの冠名について紹介します。
日本競馬史に燦然と輝く冠名を持った名馬たちの軌跡を振り返っていきましょう。
メジロマックイーンをはじめ、オーナーブリーダーとして数々の名馬を輩出してきた名門・メジロ牧場。
現在でもその血は一部で受け継がれていますが、その冠名を持つ現役の競走馬は目にしなくなりました。
約40年余りのメジロ牧場の歴史において最強世代といえるのが、1987年に生まれた競走馬たちです。
この年代に生まれた主なメジロの冠名を持ったのは、マックイーン・ライアン・パーマーのいわゆる『華の87年組』と呼ばれた世代ですね。
メジロマックイーンは、祖父メジロアサマ、父メジロティターンに続き、父仔3代に渡って天皇賞(春)を制しました。
また、当時史上初の獲得賞金10億円を突破し、長距離血統に拘り続けたメジロ牧場の結晶ともいうべき名馬です。
87年組の中でもっとも期待の大きかったメジロライアンは、日本ダービーで2着などの好走はするもなかなかG1レースに縁がありませんでしたが、1991年の宝塚記念を制しG1馬の仲間入りを果たしました。
メジロパーマーは、遅咲き血統からか前の2頭に遅れを取る形となりましたが、1992年の宝塚記念と有馬記念の同一年グランプリ制覇という偉業を達成。
結果的にこの3頭で獲得したG1は全部で7勝となり、メジロの全盛期を築き上げたのです。
その後もメジロの血は、メジロライアンが初年度産駒からメジロブライト、メジロドーベルと2頭のG1馬を輩出し、安泰かと思われました。
しかし、メジロドーベルの引退以降、中長距離レースで走る競走馬が出なくなり急激に失速してしまいます。
それは、海外種牡馬の台頭によるものと考えられます。
メジロ牧場は、もともとステイヤーを育成する信念のもと、内国産種牡馬や自家生産種牡馬を中心に配合するオーナーブリーダーでした。
ところが、時代の流れはスタミナよりもスピードを重視する血統が主流となります。
また、海外からブライアンズタイムやトニービン、そして、サンデーサイレンスなど多くの種牡馬が輸入されたことでステイヤーの需要が減ってきます。
そんな中、メジロ牧場も短距離レースで勝てる馬を育てる方針に転換し、自家生産種牡馬にも拘ることなく、海外種牡馬をメジロの血に取り入れることにしました。
しかし、この選択は結果的に失敗となります。
それは、長距離血統とスピード血統を掛け合わせることにより、距離が持たない上、スピードも足りないという競走馬が多く誕生してしまったからです。
さらに、メジロ牧場は日本有数の活火山・有珠山の麓に位置しており、創業以来2度の噴火被害に遭ったことで設備投資の資金繰りも苦しくなりました。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプト調整等はおこなっておりません。
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こうして、いくつかの要因が重なり、2011年メジロ牧場は競馬界からの撤退と解散を決定したのです。
なお、メジロ牧場名義で所有していた競走馬はレイクヴィラファームなどを始めとする元メジロ牧場関係者に渡っています。
史上初の三冠牝馬メジロラモーヌや日本最強ステイヤーの呼び声高いメジロマックイーン、日本競馬史上初の牝馬G1レースを5勝したメジロドーベルなど、メジロの冠名を持つ競走馬は、いくつもの大記録を日本競馬史にその名を残しました。
障害競走でも、メジロアンタレス、メジロマスキットという2頭の最優秀障害馬を筆頭に中山大障害、中山グランドジャンプといった障害G1レースでも7勝を挙げています。
しかし、日本競馬の一時代を築いたメジロの冠名を持った現役の競走馬は、もう存在しません。
ただ、オルフェーヴルやゴールドシップの母の父はメジロマックイーンであり、モーリスの母はメジロフランシスと、現在においてもメジロの血を継承する種牡馬たちが活躍しているので、今後もメジロ血統の偉大さは語り継がれていくと思われます。
ダイワの冠名を持つ競走馬と聞けば、ダイワメジャーやダイワスカーレットを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
ダイワの冠名も日本競馬の一時代を築いた1つです。
しかし、2023年1月18日にダイワキャグニーがJRAの競走馬登録を抹消。
これによりダイワを冠名とする競走馬がJRAに不在となりました。
これは事実上、ダイワの冠名を持つ競走馬がいなくなったことを意味します。
そんなダイワを冠名として多くの競走馬を所有してきたのが、大和商事の代表を務められた大城敬三オーナーです。
大城オーナーは、1923年8月15日生まれの実業家で地方競馬の馬主であった友人から誘いを受けたことがきっかけで馬主になります。
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そして、大城オーナーの所有馬として初めて重賞級の活躍をみせたのがダイワテキサスでした。
ダイワテキサスは、1998年の関屋記念とオールカマーを制し、同期のダイワカーリアンも2000年に札幌記念や富士ステークスを勝利します。
また、リアルシャダイ産駒のダイワオーシュウは、菊花賞で人気薄ながらマチカネフクキタルの2着に入るなど、この辺りからダイワの冠名を持つ競走馬が台頭をみせ始めました。
そして、ダイワの全盛期となったのが、2001年にサンデーサイレンスとスカーレットブーケとの間に生まれたダイワメジャーです。
ダイワメジャーは、皐月賞を10番人気で制すと、その後も天皇賞(秋)、安田記念、マイルチャンピオンシップとG1を5勝する大活躍を見せました。
さらに種牡馬としてもカレンブラックヒルやメジャーエンブレム、セリフォスといったG1馬を輩出。
また、母の父としてもショウナンナデシコやナミュールといったG1馬を輩出し、まさに馬名の通り、ダイワの冠名をメジャーにしました。
馬主となった当初は大和商事という法人名で馬主登録されていた大城オーナーでしたが、2004年に個人名義へと変更した後、アグネスタキオンを父に持つダイワメジャーの半妹、ダイワスカーレットが桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯、2008年の有馬記念を制する大活躍を見せます。
特に同世代のウオッカとの対戦は、現在でも語り草になるほど日本競馬の歴史にその名を大きく刻んだ名牝となりました。
さらに2004年のオークス(G1)を制したダイワエルシエーロもダイワを代表する名牝の1頭ですね。
しかし、2020年6月に大城オーナーが病気のため逝去されたことでダイワの冠名を持つ競走馬は、ダイワキャグニーが最後となります。
ただ、ダイワキャグニーは大城オーナーが逝去された5日後のエプソムカップを9番人気ながら重賞初制覇を飾り、当時大きな話題となりました。
ちなみにダイワキャグニーは、このエプソムカップ以降の勝利はありませんので、まさに競馬のロマンといえる出来事だったのではないでしょうか。
ただ、ダイワキャグニーの引退により、1つの時代が終わりました。
しかし、ダイワの冠名を持つ競走馬の輝きは、メジロと同じくこの先途絶えることなく、多くの競走馬たちに受け継がれていくことでしょう。
タニノの冠名を持つ競走馬は、今から約50年前から活躍していました。
中でも有名なのが、1970年の日本ダービーを制したタニノムーティエや半弟にあたるタニノチカラですね。
1973年の天皇賞や1974年の有馬記念を制覇しました。
この兄弟の母はタニノチエリですので、タニノも前述のメジロと同じく昭和の日本競馬を代表するオーナーブリーダーでした。
さらに2002年の日本ダービーを制覇したタニノギムレットの母もタニノクリスタルです。
そして、タニノギムレットとタニノシスターとの間に生まれたウオッカが、牝馬ながら64年ぶりに日本ダービーを制しました。
なお、父仔で日本ダービーを制覇した競争馬はシンボリルドルフとトウカイテイオーを始め、1984年のグレード制導入以降わずか4組となります。
しかし、父娘となれば、これまでの日本競馬史上タニノギムレットとウオッカの1組しかいません。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプト調整等はおこなっておりません。
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そんな数々の偉業を成し遂げてきたタニノの冠名を持つ競走馬も、2022年6月にタニノヨセミテがJRA登録を抹消したことで、中央競馬における所有馬が0頭となりました。
そして、今後も新規で登録される予定はないと報道されたことで、事実上馬主業の引退となったわけです。
ウオッカやタニノギムレットを生産したカントリー牧場はすでに解散、売却されていますので、長きに渡り日本競馬の時代を築かれた冠名が、また1つなくなったとなれば寂しい限りですね。
今回は、消えた冠名としてメジロ・ダイワ・タニノを紹介しました。
メジロは近代競馬のスピードについていけなかったことが主な原因で馬主業撤退となりましたが、ダイワやタニノが馬主業を引退することになった1番の理由は跡取り問題だといわれています。
今後も後継者不在で馬主業を引退する方たちも多くなりそうですが、時代を彩った冠名を持つ競走馬が少しでも長くターフを駆け抜ける姿をみたいと、一競馬ファンとしては切実に思う次第です。