悲運のマイル女王・パッシングショットとは?
競馬の世界では、現役時代の活躍により牡馬は種牡馬となり、牝馬は繁殖牝馬として第2の馬生を送りますが、特に牡馬は一定の活躍をしなければ種牡馬として選ばれることはありません。
また牝馬は、大きな問題を抱えていない限り、大多数は繁殖牝馬として次世代の競走馬を産むことになります。
そして、現役時代にG1レースなどの大きなレースを勝った牝馬の仔は大きく期待され、セリ市などで高値が付けられる可能性がとても高いです。
しかし、現役時代に並みいる強豪牡馬を破ってマイル女王に輝きながら、繁殖牝馬として1頭も仔を産むことなく、星になった悲運の名牝もいます。
それが、今回ご紹介する1990年のマイルチャンピオンシップ(G1)を人気薄で制したパッシングショットです。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプト調整等はおこなっておりません。
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パッシングショットは、なぜ1頭も仔を産めず、この世を去ったのでしょうか。
今回は、そんな悲運のマイル女王を振り返ります。
パッシングショットは、父トウショウボーイ、母はタカヨシピット、その父ネヴァービートという血統で1985年4月26日に北海道浦河町にある浦河小林牧場で生を受けました。
父トウショウボーイは、1970年代にテンポイント、グリーングラスとともに日本競馬の一時代を築き『天馬』との異名を持った名馬です。
そんなトウショウボーイは、日高軽種馬農協に種牡馬入りしたため、現役の競走成績から比べると驚くほどの安価で種付けすることができました。
そのため、種付け希望者が殺到し、繁殖牝馬の質を審査した後に種付け相手を選ぶ形がとられたのです。
そうなると母のタカヨシピットはかなり質が良かったということになりますが、その父であるネヴァービートは現役時代10戦1勝と大きな活躍はみせられませんでした。
しかし、半兄のヘザーセットがイギリス・セントレジャー(英G1)を勝利していたことで血統面を高く評価されて、日本で種牡馬入りしました。
その後、種牡馬としては皐月賞(G1)を制したマーチス、牝馬2冠馬のインターグロリアなどを輩出。
1970年代には3度もリーディングサイアーに輝きます。
また、ネヴァービートは母の父になってもその強靭な影響力を発揮し、史上初の牝馬3冠馬メジロラモーヌ、マイルチャンピオンシップを連覇したダイタクヘリオスなどの活躍馬を輩出。
1980年代にはブルードメアサイアーを3度も獲得する名種牡馬ですが、その娘にあたるタカヨシピットは現役時代31戦1勝という成績でした。
そのうち2着が14回と馬主孝行な競走馬でしたが、その反面勝ち切れない脚の持ち主だったともいえます。
ただ、これだけの実績ではトウショウボーイの種付け審査には届きそうもありません。
ところが、種付けの少し前に半兄のスナークアローが小倉記念(G3)と小倉大賞典(G3)を勝利したことで、タカヨシピットは種付け審査を見事に突破し、生まれたのがこのパッシングショットです。
なお、タカヨシピットは生涯で9頭の仔を産んでいますが、パッシングショットは、トウショウボーイとの間にできた唯一の産駒となります。
2歳(当時は3歳表記)になると、パッシングショットは栗東の橋田満厩舎に入厩します。
橋田調教師とえいば、1998年の宝塚記念(G1)を制したサイレンススズカや2003年と2004年のエリザベス女王杯(G1)を連覇したアドマイヤグルーヴ、2019年のナッソーステークス(英G1)で歴史的勝利を果たしたディアドラなど、数多くの名馬を世に送り出した名調教師ですが、この頃はまだデビューしたばかりの新人調教師でした。
しかも、当時大学を卒業した調教師というのはかなり珍しい時代であり、1983年にJRA調教師試験に合格すると、橋田調教師は翌1984年に厩舎を開業せず、技術調教師としてイギリス・アイルランドに競馬留学をします。
ここで坂路調教を目の当たりにし、坂路主体の調教を実践していくことになるのです。
これが、後に多くの名馬を育てた橋田調教師の根底です。
そんな橋田調教師は、厩舎開業から2年後にポットナポレオンで小倉3歳ステークス(G3)を制し、重賞初制覇を果たしますが、その後しばらくは活躍馬がいない状況でした。
そこにパッシングショットが入厩してきたのです。
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3歳の秋にデビュー戦を迎えたパッシングショットは早くも2戦目で勝ち上がりますが、続く条件戦では3戦連続で2着と母のタカヨシピットに似てしまったのか、なかなか勝ち切れない日々が続きます。
その中でものちに桜花賞馬となるアラホウトクの2着など、素質を感じさせる走りであったことは間違いありません。
そして、4歳の11月に条件戦で自身2勝目を飾ったパッシングショットは、なんと2,400メートルのエリザベス女王杯に駒を進めます。
しかし、7番人気に推されながらもタマモクロスの半妹ミヤマポピーの前に9着と敗れました。
これは明らかに距離の壁と思われ、その後パッシングショットは生涯を通し2,000メートル以上のレースには出走しませんでした。
初のG1出走となったエリザベス女王杯惨敗後、次走のゴールデンサドルトロフィーを勝ち、3勝目を挙げたパッシングショット。
そこから格上挑戦となった京都牝馬特別(G3)とマイラーズカップ(G2)で2着、京王杯スプリングカップ(G3)では3着と重賞で好走するも相変わらずの勝ちきれない日々が続きます。
そして、春のマイル王を決める大一番、安田記念(G1)に駒を進めると、バンブーメモリーの6着と好走の部類に入る走りをみせました。
しかし、夏の休養を経てダート短距離重賞の根岸ステークス(G3)では、ダートが合わなかったのか13着と惨敗し、必勝を期したオープン特別のトパーズステークスではマロングラッセに届かずの2着。
牝馬同士の一戦となったサンスポ阪神牝馬特別(G3)は、エリザベス女王杯でハナ差の10着だったルイジアナピットに惨敗し12着と精彩を欠きます。
その後も、オープン特別の洛陽ステークスでは1番人気ながらも2着に敗れ、昨年2着だった京都牝馬特別でも4着、改めて必勝を期した準オープンクラスのポートアイランドステークスも3着。
続くオープン特別のシルクロードステークスは2着、阪急杯(G3)でも5着と、3勝目を挙げてからはかれこれ12連敗と母の遺伝子以上に勝ち切れない血が騒ぎました。
しかし、そんなパッシングショットは、自身23戦目となったCBC賞(G2)で待望の重賞初勝利を挙げることになります。
ただ、次走の高松宮杯(G2)では春のマイル王者バンブーメモリー10着惨敗し、続くスワンステークス(G2)でもナルシスノワールの2着でした。
こうして、迎えたマイルチャンピオンシップでは、10番人気と期待されていませんでした。
ところが、ゲートが開くとパッシングショットは、これまでの競馬とは打って変わって後方からの競馬を試みます。
そして、最後の直線で外に持ち出すと今までの決め手のなさが嘘のように鋭い末脚で先頭集団に追いつくと、そのままバンブーメモリーを含む強豪馬をまとめて差し切り、G1初制覇を成し遂げました。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプト調整等はおこなっておりません。
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この勝利は、タカラスチール以来、4年ぶりとなる牝馬のマイルチャンピオンシップ制覇となり、また、橋田満調教師、楠騎手ともにG1初制覇となったのです。
その後、G1馬として当時暮れのスプリント王者決定戦だったスプリンターズステークス(G1)に駒を進めたパッシングショットは、2番人気でレースに臨むも出遅れにて万事休す状態、最後の直線で上がり最速となる33秒6の驚愕の末脚をみせるもバンブーメモリーの8着に終わります。
タラレバの話にはなりますが、もし出遅れがなく上がり最速タイムを考慮すれば、勝っていたかも知れません。
こうして、生涯成績27戦5勝2着10回と抜群の安定感を誇ったトウショウボーイ後期の名牝パッシングショットは、ターフを去り母として第2の馬生を過ごすことになるはずでした。
しかし、繁殖入り後にはマイル王同士の夢配合となるニッポーテイオーが交配予定馬になっていましたが、種付け直前に暴れてしまい転倒、当たりどころが悪かったのか頭蓋骨骨折にて、この世を去ったのです。
今回は、悲運のマイル女王・パッシングショットについて紹介しました。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプト調整等はおこなっておりません。
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今でこそ、冒頭にもお伝えしたとおり、サイレンススズカやアドマイヤグルーヴなどを手掛けた橋田満調教師は、名伯楽の道を歩み海外でも結果を出しました。
しかし、パッシングショットが橋田厩舎初のG1制覇を果たした競走馬であることは変わりありませんし、パッシングショットの活躍があってこそ、厩舎の偉業につながったことは過言ではないと思います。
1頭でもパッシングショットの仔がターフを走る姿を見たかったですね。