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茨城県産の日本ダービー馬って知っていますか?

日本ダービー馬ウィナーズサークルの栄光と足跡


競走馬の生産地は北海道から九州まで幅広く分布されていますが、中でも北海道が生産頭数の約98%を占めており、九州の熊本県、宮崎県、鹿児島県で約1%。
残りの1%が青森県や茨城県、栃木県、千葉県となっています。

この分布数から確率的に考えると、北海道産以外から活躍馬が誕生するのは皆無に等しいと思います。
しかし今から約40年前、茨城県で誕生した1頭の芦毛馬が競馬の祭典、日本ダービー(G1)を制したことを知っていますか?

茨城県のイメージ画像
ℹ AI生成
この画像・動画は、AIによって生成された架空のイメージであり、実在の人物・馬・団体等を描写したものではありません。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプト調整等はおこなっておりません。

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その馬は、ウィナーズサークルです。
茨城県産として初の日本ダービー馬であり、後にも先にも茨城県産のダービー馬はウィナーズサークルしかいません。

そこで今回は、昭和から平成に元号が変わった年に日本ダービー馬となったウィナーズサークルについて紹介します。
当時は現在の18頭フルゲートとは違い、24頭という多頭数で行われた中で日本ダービーを制したウィナーズサークルの強さについて、是非ご堪能ください。

茨城県産として


ウィナーズサークルは、1986年4月10日に茨城県の栗山牧場で産声を上げました。
種付け当初は、のちにダートグレード競走では数少ない長距離重賞のダイオライト記念(Jpn2)などを制した兄・クリノサンフォードと同じ父であるサンフォードラッドを付ける予定でしたが、そのサンフォードラッドが急死したため、代わりにシーホークを付けて誕生したのがウィナーズサークルでした。

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父サンフォードラッド、母クリノアイバーとして生を受ける予定だったウィナーズサークルの運命は、この時に変わったのかも知れません。

それは、父シーホークが、数多くの名馬を輩出しているからです。

シーホークの主な産駒は、兄弟で天皇賞馬となったモンテプリンス・モンテファーストをはじめ、日本ダービー馬アイネスフウジンなどが挙げられます。
そのような背景があるとは知らず、ウィナーズサークルは茨城県産の競走馬として順調に幼少期を過ごし、デビューを迎えました。

デビュー戦は、3歳(現2歳)の夏に福島競馬場で行われた芝1200mで堂々の1番人気に支持されるも、距離が合わなかったのか4着に敗れます。
その後ソエを発症してしまい、約4か月ほど強い調教ができなくなりました。

ちなみにソエとは、骨膜炎の通称名で成長途上にある若い馬に良く見られる症状のことです。
骨の表面に炎症が起き、強い痛みが出るため患部を冷やし強い運動を避けることが治療法とされており、馬齢を重ね、骨の成長によって徐々に解消されるといわれています。

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その後、ソエが治まったウィナーズサークルは、暮れの中山競馬場で行われた芝2000mの未勝利戦に1番人気で出走しますが、ここでも2着に敗れます。
続く3戦目となった同条件の未勝利戦も、1番人気で2着となかなか勝ち切れず、3戦未勝利のまま3歳のシーズンを終えました。

この時点で約半年後、この芦毛の未勝利馬が日本ダービー馬になるとはいったい誰が予想したでしょうか。

ダート適性あり?


年が明けて、4歳(現3歳)となったウィナーズサークルは中山ダート1800m未勝利戦に臨みます。
すると、2着馬に5馬身差を付けて圧勝。
陣営はダート適性ありと見込んだのか、そこから次走の条件戦も引き続きダート戦を走り、2着、2着と好走を見せました。

そして7戦目となった中山ダート1800mの条件戦では、2着馬に7馬身差を付けて再びの圧勝劇をみせ、オープンクラスの仲間入りを果たします。

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ここまで7戦2勝。
その戦績の内訳をみますと、芝コースが、2着1回、着外1回に対し、ダートコースでは、1着2回、2着2回と明らかにダート適性の馬ではないかと思われました。

しかし、陣営は、次走にクラシック第1弾の皐月賞(G1)に出走登録を行います。

ただ、この時点では獲得賞金が不足しているため出走の可否は抽選、いわゆる神頼みだったのです。
ところが、ウィナーズサークルの持っていた運だったのでしょうか。
有力馬数頭が相次いで出走を回避したため、皐月賞への出走が叶いました。

そして迎えた皐月賞。
これまで新馬、未勝利、条件戦とすべて1番人気の支持を受けていましたが、さすがに重賞の出走経験がなく、芝コースでの勝利もありません。
さらに初の重賞挑戦がG1レースとなれば、ファンの支持率が低いのも当然です。

それでも出走馬20頭中7番人気に支持されたことは、レース当日の朝まで降り続いた雨により不良馬場となったことから、ダート適性を考慮されたものなのでしょうか。
いずれにしましてもウィナーズサークルに対しての期待の現れは思っている以上に大きいものだったのかも知れません。

天馬・トウショウボーイを父に持つ3歳王者のサクラホクトオーが1番人気でしたが、ウィナーズサークルとは真逆で不良馬場を苦としたため、全くの精彩を欠き最下位に沈みます。
そんな悪馬場の中抜け出したのが、3番人気のドクタースパートでした。

一方のウィナーズサークルは、出走メンバー中最速となる上がり3ハロン37.6秒という脚を魅せ、ドクタースパートに半馬身差まで詰め寄りましたが、惜しくも2着に敗れます。
ただ、初重賞挑戦である皐月賞で2着に入線するという潜在能力の高さは改めて実証できたのではないかと思われました。

こうしてウィナーズサークルには皐月賞の2着賞金が加算され、さらに日本ダービー優先出走権も与えられたため、日本ダービーへの出走が確実なものとなったのです。

史上初の芦毛のダービー馬


生涯に1度しか走ることができず、年間約8,000頭の競走馬が誕生する中で約20頭程度しか出走できない狭き門。
それが競馬の祭典・日本ダービーです。

1989年の日本ダービーに出走したのは、栄えある24頭。
そのうちの1頭に入ったウィナーズサークルでしたが、これまで東京競馬場の芝コースは未経験。
また、芝コースで1度も勝利したことがありません。

そのような状況下で過去に日本ダービーを制した馬は存在せず、さらに当時では、2勝馬が日本ダービーを勝利となれば、戦後間もない1949年のタチカゼまで遡るほどです。
そう考えると、ウィナーズサークルにとっては逆風しか見当たりませんでした。
それでも皐月賞で魅せた豪脚が期待されたのか3番人気と支持を集めました。

この年のクラシック戦線は有力馬不在という混戦模様だったのが、ウィナーズサークルにとってもっとも運が良かったことなのかもしれません。
なお、1番人気に支持されたのは前走の若草ステークス(OP)を勝利し目下3連勝中だったロングシンホニー。
続く2番人気は、クライムカイザーを父に持ち父子2代で日本ダービー制覇を狙うマイネルブレーブでした。

そして皐月賞馬ドクタースパートが4番人気で、皐月賞では悪馬場に対し大きな影響を受けた2歳王者サクラホクトオーが5番人気と、ここまでが単勝オッズ1桁台です。

1番人気のロングシンホニーが単勝6.0倍と近年稀にみる大混戦模様の中、大歓声で迎えた第56回の日本ダービーは、マイネルムートが逃げてレースを引っ張る形となり、ウィナーズサークルは馬群のちょうど中団あたりに付けました。
そして最後の直線に入ると、6番人気だったリアルバースデーと熾烈な叩き合いとなりましたが、ウィナーズサークルは半馬身前に出たところでゴール板を通過します。

この瞬間、茨城県産馬として、また芦毛馬として初の日本ダービーを制した快挙達成となったのです。

晴れて日本ダービー馬となったウィナーズサークル。
その後、夏の休養を経て二冠を目指し、京都新聞杯(G2)から始動するも4着と敗れ、菊花賞(G1)でも10着に惨敗し、屈腱炎を発症してしまいました。

通算成績11戦3勝、重賞勝ちは日本ダービーのみ。
まさに日本ダービーを勝つためだけに生まれてきたと言っても過言ではないウィナーズサークルは、ここで静かにターフへ別れを告げたのです。

まとめ


今回は、茨城県産の日本ダービー馬ウィナーズサークルについて紹介しました。

なお、現在も破られていないウィナーズサークルの記録は、
・茨城県産で唯一の日本ダービー馬
・芦毛で唯一の日本ダービー馬
・日本ダービー以外の芝レースで勝利がない日本ダービー馬
の3つです。

そんなウィナーズサークルに対し、本当はダート馬だったのではないかとの声もありました。
それでも芦毛の日本ダービー馬は、今もなお競馬ファンの脳裏に”白い光”となって輝き続けているでしょう。

ℹ AI生成
この画像・動画は、AIによって生成された架空のイメージであり、実在の人物・馬・団体等を描写したものではありません。
また、肖像権・パブリシティ権に配慮し、特定の人物に類似させるための学習データ使用やプロンプトの調整等はおこなっておりません。

[使用ツール・モデル]
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ちなみに、馬名はウイナーズサークルではなく、ウィナーズサークルが登録馬名称なので、検索される場合は、『イ』と『ィ』を間違えないように注意してくださいね。

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